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チェザリィ ヴォーカリスィズ発声法

チェザリィ ヴォーカリスィズとは、どんな発声法?

テクノロジーの沿革

School of the Natural Voice のナンシー ウエスト (シニア アソシエイト ティーチャー)著者
日本語訳 阿久津一恵

数百年前、ステレオもCDもカセットテープもレコーディングスタジオもなく、楽器は全てアコースティックでマイクもなかった時代、一般の人々が音楽を楽しめる場所は数カ所しかなかった。教会に行けば間違いなくいつでも音楽を聞くことができたし、時には放浪の吟遊楽士が歌を歌って、人々を楽しませることもあった。それからオペラがあった。

定期的に開催された宗教とは無関係の唯一の音楽が、オペラだった。1950年代から60年代にかけてロックがポピュラーになったように、1600年代末期にはオペラが当時のポピュラーミュージックとなった。

今日では一般の人々はオペラを最後まで見るより、むしろきっとロック、ポップあるいはブルースのコンサートに行くだろう。「沿革」を解説するのに、オペラについて論ずるとは不思議に思うかもしれない。たいていの人がオペラやあらゆるクラシックの声楽曲に対して強い嫌悪感を持っているのには、はっきりとした理由があるとしたら、意外なことかもしれない。それがこうした曲の大半が外国語で歌われていることとは、ほとんど無関係だと言ったら、信じてもらえるだろうか。

オペラがポピュラーな娯楽として定着するようになると、当時(1600年代)のオペラの著名な一群の作曲家は、楽々とすばらしく澄んだ声で歌える歌手がいて、しかも聴衆は彼らが歌うどの言葉も全て理解できることに気付いた。たとえヴォイストレーニングができておらず、正規の音楽教育を全く受けていない歌手にも、これは当てはまった。彼らはこの歌唱力を「ナチュラルヴォイス(自然の声)」と呼んだ。

ナチュラルヴォイスは信じられないほど美しく、すばらしく広い範囲で聴衆に感情を伝えることができたので、この一群のオペラ作曲家は、どうしたらナチュラルヴォイスを作ることができるのかを解明することにした。数世代にわたり、詳細で幅広い研究がイタリアの5大都市で行われた。ナチュラルヴォイスを持つ歌手を見つけては、歌う時に彼らが感じたり考えたり気付いたりするのはどんなことか、などと質問攻めにした。

こうした情報を全て集めて、ヴォーカルトレーニングの基準となるテクノロジーが作られた。これが最初の「オールドイタリアンスクール」となったわけだが、一般的にはイタリア語で「美しい歌」を表わす「ベルカント」と呼ばれた。ここでいう「スクール」とは建物のことではなく、それは次のように定義される:1同じ原理で行動したり、共通の特徴を持つ芸術家の団体2ある主義や原理に熱心で、それにしたがう一連の人々。

このオールドイタリアンスクールの原理は広く教えられ、17世紀から19世紀にかけの「歌の黄金時代」に無数の完全なナチュラルヴォイスを生み出した。

19世紀末近く(1800年代)になって、1人の著名な教師が独自の歌の教授法を提案した。彼は誤った知識を紹介して、オールドイタリアンスクールの本来のテクノロジーを変えてしまった。非常に尊敬されていた教師だったので、歌手は彼の「新しく」「もっと現代的な」方法をすぐに受け入れてしまった。こうして彼はヴォイストレーニングを教えたい人なら誰でも、自分の「方法」や「方式」を考案し、教室を開くというおぜん立てをしてしまった。その結果、文字通り「何百」という相反するヴォーカルテクニックの「方式」が存在することとなった。

最終結果として、本来のテクノロジーはほとんど完全に失われてしまい、美しく楽々と歌えるという音楽の資質は急速に衰えていった。声は傷ついて台無しになり、歌手は困惑した。テナーもソプラノも高音域が出せなくなり、こうした誤った発声方法を用いたために、歌手が起こしてしまった問題に対して、異例の解決方法を見つけようとした。

オペラのベル(美しい)カント(声)は消え、多大な努力を払ってしか歌えない声が取って代わり、耳障りな音を作り出した。人々はクラシックを聞く訓練をする以外は、オペラに行かなくなった。ソプラノやテナーのキーキーいう音は耐え難かったが、オーケストラの楽譜はすばらしいままだった。時折、生まれながらにナチュラルヴォイスを持った、たぐいまれなオペラ歌手が現れ、伝説となった(例えばカルーソやパバロッテイなど)。

一方、音楽の新しいスタイルが出現した。ポップ、ロックそしてブルースシンガーが、音楽分野で自分たちの立場を主張し始めた。彼らもまた、歌の基準となるテクノロジーの恩恵にはあずかっていなかった。本当に上手な歌手はますます少なくなり、ついには聴衆は歌詞がほとんど分からない、しわがれて時には調子外れになる歌い方に慣れてしまった。オペラ歌手に加えて、ロックやラップシンガーも金切り声や大声を上げて、声帯炎になる始末だった。10年余りで喉をつぶすのは、当り前になってしまった。人々は真の完全なナチュラルヴォイスの持つ、圧倒的な美しさや感動的なインパクトを忘れてしまった。最近の数世代にわたる聴衆の大半は、「ナチュラル」ヴォイスの持つ魅力あふれる音の美しさを経験したことがない。

幸いにも、全てが失われたわけではなかった。1900年代初め、ロンドン出身でE.ハーバートチェザリィという人物が、歌に興味を持った。全くの偶然から、彼は自宅近くのスタジオから流れてくる完全に自然な声を聞いた。その美しさにすっかり心を奪われ、どうしたらそんな音が出せるのか尋ねたところ、ローマのシスティナ礼拝堂で歌っていたそのバリトン歌手と彼の先生こそ、オールドイタリアンスクールの本来のテクノロジー全てを知っている最後の人だと聞かされた。

チェザリィはローマに行き、このテクノロジーを何年もかけて研究した。それから、生理学者と音響技術者を研究室に招いて、このテクノロジーの原理と応用そして結果を立証しようとした。これらの科学者達がすっかり驚いたことには、オールドイタリアンスクールの原理にあるどのデータをとっても、完全に効果があることが確かめられた。

チェザリィは全部で5冊の本を書いた。彼はこの本来のテクノロジーとそれをあらゆる声に応用する、細かな項目全てを集大成した。彼は歌の「黄金時代」をこの世に取り戻すことに生涯をかけた。

その後1970年代になって、デビッドコーフマンによりスクールオブザナチュラルヴォイスがロサンゼルスに創設された。デビッドはチェザリィの娘アルバと共に学んだ人物だが、アルマは現在でもロンドンで教えている。グロリア ラッシュはここで、これらの原理を用いて彼女の声を取り戻したのである。

1970年代後半になって、デビッドはヨーロッパに戻り、フランスのパリにエコールドラボアナチュレルを設立した。彼はロサンゼルスにあるスクールオブザナチュラルヴォイスの管理と運営を、昔からの教え子であるグロリア ラッシュに委ねた。

スクールは長年にわたって大きくなり、現在ではジョンノベロとグロリアラッシュによってつくられたノベロ/ラッシュ「プロがケアするプライベートインストラクション」の一環として、このテクノロジーを伝えている。

今日のヴォイストレーナーの大半は、残念なことに発声機構の基本さえわかっていない。余りにも多くの間違った情報が生徒たちに教えられ、押し付けられているので、時折短期間しか音楽をやっていないのに声をだめにした生徒が、スクールオブザナチュラルヴォイスにやって来る。しかし二度と歌えないだろうとあきらめていた人でも、このテクノロジーを使えば完全に声を回復することができるのである。

「歌えない人がいる」というのは正しくない。「音痴の」人がいるというのは正しくない。実際「音痴」などということは存在しない。それはまったくの偽りである。本当は適切なデータと指導があれば、誰でも歌うことができる。障害が取り除かれて本当のことが分かれば、誰でも真のヴォーカルアーティストとして花開くことができる。そして事実、こうした原理を応用して訓練を受けた人は、一生涯自分の音域ならどの曲でも美しく楽に歌うことができるのである。